読みもの 古典伝統文化への誘い

萩井流で大事にしている言葉に「雪月花」というものがあります。


月を眺める

雪に触れる

花を愛でる


そういった事柄を根本に、現代と違う表現力を身につけていくことが古典のお稽古です。

立ち居振る舞い、手の表現、足腰の基本練習。

一生懸命お稽古して、時間をかけて「感性」を身につけ、多くの人に伝えていけたらと考えています。


お稽古Q&A

「新しい世界」に飛び込むには不安もあるし、勇気もいる……。
そんな方々から、これまでに当サイトに寄せられた質問をご紹介します。

家元への質問

古典伝統文化とは何か、萩井流では何を大切にしているのか、門下生から家元・萩井栄秀先生への質問コーナーです。

門下生の声

門下生に、日本舞踊を始めたキッカケを聞いてみました。

お稽古Q&A

「新しい世界」に飛び込むには不安もあるし、勇気もいる……。

そんな方々から、これまでに当サイトに寄せられた質問をご紹介します。

Q.着物を持っていないのですが、大丈夫ですか?


A.大丈夫です。
お稽古は浴衣でいたします。
他、必要なものは、足袋、腰紐、下着(ステテコ、肌襦袢)、半幅帯です。
浴衣をお持ちでない場合は、揃えられるまでこちらでお貸しします


Q.着物を自分で着る事ができません。
また、上手に着られるようになりますか?

A.踊りのお稽古に入る前に、基本的な着付けをお教えします。
ご自分で着られるようになるまで、さほど時間はかかりません。
最近は着物ブームで、着物にも興味をお持ちの方が多いのですが、踊りを通じて、着物を着た時の立ち居振る舞いも自然に身につき、動いても着崩れにくい上手な着方もだんだんわかってきます


Q.踊りを始めるにあたって、年齢制限はありますか?

A.ありません。
「やりたい!」と思った時が「適齢期」です。
「ふれあい塾」の塾生は、20~40代の方が中心で、皆さん入門時は未経験者でしたが、現在では舞台に立てるまで上達された方もいますし、50歳を過ぎてから始められる方もたくさんいます。


Q.お稽古についていけるか心配です・・・

A.その人のペースに合わせての、マンツーマンでの丁寧なお稽古ですので、ご安心下さい。

家元への質問

古典伝統文化とは何か、萩井流では何を大切にしているのか、門下生から家元・萩井栄秀先生への質問コーナーです。



門下生:「踊り」ってなんですか?


家元:難しいね……「踊り」と一言に言っても、民俗芸能、御神楽(おかぐら)、お能、日本舞踊などたくさんに分かれるの。「踊り」の他にも「地歌舞(じうたまい)」とか、「舞」という言葉もあって、「踊り」と「舞」がある。あと「歌舞伎舞踊」。私は歌舞伎舞踊と日本舞踊は一緒だと思ってる。

萩井流は市川左團次(歌舞伎俳優 四代目市川左團次)が宗家をやっている時から歌舞伎を意識して、所作を大事にして、まだまだ身につかないけど、表現力を大事にしてやっています。

歌謡曲で踊る新舞踊もあるけれど、我々のやっている古典舞踊は鳴物(お笛、太鼓、鼓など)とお三味線が必須です。


そして、「いい歳の取り方をすること」かな。それが一番大事。

うんと歳をとった時に、やっぱりちょっとものの見方が違う。感性が時間と共に出来上がってくるから、全てのものの見方が違ってくる。それがいい歳の取り方をするということ。そこが一番大事。

昔、スイスのジュネーブ大学に教えに行ってて、みんな武士道とかに興味があって、犬の名前に「武蔵」とか、「小次郎」とか付けていて、私たちよりずっとお行儀がいい。きちっとした佇まいで座ってられる、そして日本にとっても憧れているのね。それで何年も教えに行ってるうちに「これは日本をきちっとしなかったら恥ずかしい」と思った。

教えに行っていたのはもうずいぶん前の事だけれど、あれから、古典の世界がだんだんとものすごく狭い世界になってきちゃって、それで、若い子達がもっと日本の方に目を向けたら、もっともっと人に伝えていけるのではないかと感じたの。

それで、それまでは大きな舞台ばかりでやっていたのが、若い子達と巡り会って、古典の世界の敷居を低くして、入りやすくしたいということを考えるようになった。

そういうことがものすごくこれからは重要だと思う。

うん。古典の世界は人がいないからすごく大事。



門下生:たくさん伝統芸能がある中で、日本舞踊の魅力は?


家元:どんなものも全部魅力がある。その中で、私がなぜ、日本舞踊を2歳からずっとやめられなくてきたかというのは、唄の文句がセリフだから。今若い人たちに言っても身に沁みてそこを理解しようとはまだしてなくて・・・まだまだ理解できなくてもいいと思うのね。でもやっぱり、歌の文句がしみじみと「いいな」と思って・・・セリフと唄の文句は一緒なのね。「そこでどんな表現をしようか」と。だから、ちょっと浮世から離れなければ古典の表現というのはなかなかできない。私はそうやって、自分が現世から離れて、「どういうふうに花を見ようか」とか、「悲しい時に見る月と嬉しい時に見る月とは違う」みたいな、古典の世界の中の情感とか情緒、それを自分で引き出していくっていうのが好きだなと思う。

左團次が、「唄をよく聴きなさい」と、「唄がセリフだよ」とよく言ってたんだけども、その文句がしみじみと「いいな」って思ったときに、自分が発揮できていく。

だから、10何年位じゃまだまだね、そこまでずーっとわからなくても、わかろうとしていく気持ちがものすごく大事で、本当に狭い世界だから、その狭い中で自分が上手な格闘をしていくということが素敵なことじゃないかなと思います。

それしかないね、「踊り」っていう自分がやってる芸に対しては。

だから何が大事かというと、道端の草木がどういう佇まいで生きてるか。

悲しい時・・・恋でもした時に「鳥はいいな羽があるからすぐそこにいけるかもしれない」とか、花鳥風月そういうものに目を、日常でも気を使って「見る」ということが肝心かも。

「どこまであの鳥は飛んでいくんだろう」とか、「この花は雑草だけれども、こんなちっちゃい可愛い花咲かせて、おまええらいね」っていう、そういう会話が感性かなというか、そういうものが大事だと思う。



門下生:日本舞踊に興味があるけれども見たことないとか、ハードルを感じる人に対しては?


家元:うちに伝統文化振興協会という、会員になると、会に招待されたり、お稽古を見にきたり、催しに参加できたり、若い人たちの発表の場の時に、自分たちも発表したいものがあればできるという、お遊びの空間があります。参加を希望される方はお問い合わせ下さい。一緒に文化というものに、楽しく触れられたらと思います。



門下生:前に先生からうかがった「3つのパワー」の話が印象的だったのですが聞かせて頂けますか?


家元:「3つのパワー」ね。家庭もお仕事も芸の世界も大事にするという、3つのパワーがある人の方がものすごく伸びる。そこがすごく大事。暇な人は何もできない。

「自分はこれが好きだからこれだけ」というのは誇大妄想になってしまう。だから3つのパワーってすごく大事。それで「大変」と思っちゃったらそれでおしまいだけど、「やるぞ」という気持ちが、なんというのかな・・・全て芸なのね。家族との関係をまろやかにするのも、生活は芸術であるっていってお芝居なの。そういう風に、芸をやり出すとそういうお芝居ができるようになってくる人がいる。そこが大事。お勤めしていても「ごめんなさい」が上手に言えるようになってくる。

だから、踊りをやってるから立居振舞でお品よく、っていうんじゃなくて、七色の自分を持つというね、7つの顔・・・もっともっと多くの顔を持つというのが芸だと思うから、だから家庭であってもお仕事であっても、最終的にそこでもきちっと芸ができると、踊りにきちっと跳ね返ってくる。

すぐにできるようになることは面白くない。

私も宗家も同じ考え方なんだけど、「上手く踊ろうと思っちゃだめだよ」ってよく言ってたのね。私もそう思う。「上手い踊りを踊ろう」とか踊りじゃなくても「上手くこういうことをやろう」じゃなくて、一歩一歩きちっとね、どんなものでもそうだけど、まず「真似をする」から始まる。

真似というのはなかなか大変なことで、ゆっくりゆっくりのスローなテンポで何事もやらなきゃならない。それで、いざ出来上がって舞台に立ちますって言っても、上手く何かをしようとしたらドキドキするけれども、言われた通りのことをきちっとやろうと思った時の方が健やかにできる。それはとっても大事なこと。これを誰かに見せよう、と思うとしくじる。

でも自分の中で一生懸命やろうという気持ちがあると、見てる側は感動してくれる。

「上手いね」より「いい踊りね」「いい感じね」というのになってもらいたくてやっている。

そういうふうになってくると人当たりも良くなる。

固かった人が、そうじゃなくなってきて柔らかくなってくるとか、それが芸かな。



門下生:歌舞伎や踊りは難しい感じがするのですが、どうなんでしょう?


家元:難しい感じがするのよ。不思議なことに子供の時から触れている人と、いきなりそういうものに触れようとする人とちょっと違って、いきなり触れると、古い、時代の言葉が多いから、難しいと感じる人が今結構いると思う。

でも、「難しいな」と思いながら、「何て綺麗なんだろう」とか、何か気持ちに残ったことがあると、それはそれで良くて、「全然つまんない」と思う時は、全くその世界に興味がない人だと思う。だから最初難しくても、「もっかい挑戦してみよう」と思って見てみる時には、少しわかってくるとか・・・それはこういう芸事じゃなくてもなんでもそうだと思うけど。

バレエも古典芸能の、我々の仲間。だからバレエ見て「素敵」と思った時には、日本舞踊も、表現の方向は違うけれども・・・バレエはうんと押し出して「愛」を出す。だけど日本舞踊の世界はぐーっと中に秘めて、っていう、逆な部分があっても、感情というかそれは同じこと。

だからそういったものが「全然つまんない」と思ったらやらない方がいいときもあるし、わかんないけどちょっと素敵だし、ちょっとかじってみたいと思うときには遠慮しないでやってみるっていう、そういうものかもしれない。まずちょっとやってみたいとか、テレビを見てやってみたいとか、そういうのと同じだと思う。

歌舞伎の話をすると、「世話物」と「時代物」に分かれる。「時代物」っていうのは戦とか、そういう時代。「世話物」っていうのは江戸の文化。だから、同じ歌舞伎でもぜんぜん違うわけ。

世話の方が、今の言葉に近い。落語と同じで、隣の熊さんとか八つぁんとかの話みたいな。

たまたま歌舞伎観に行って時代物だと分かりにくいけど、世話物だと、わかりやすい。で、何本か立ての一本くらいは踊りが入ってたりもするから、プログラムをきちっとみて、わからなければ聞いてから行った方がいいかも。



門下生:古典はそのままずっと繋いでいった方がいいと思いますか?


家元:歌舞伎の話でいうと、今アニメやマンガが原作の新作もある。日本舞踊も色々と、オペラとかに近い物をやったりとか、古典とはいわない物がある。古典だって、歌舞伎が始まった頃から、ずっと全く同じじゃなくて、常に変わりながらずっときているわけね、だけど元々の歴史があって、その歴史をきちっと押さえながら来てるから、あまり大きく曲がりはしない。新作というのは、ぐーんと変えちゃう。アニメをもとにやったりするのは間違っても古典とは言わない。封建的な世界なんだけれども、変わりながらの封建。普通の世の中も同じね。

だから自分たちがどう変えていくのかもすごく大事なこと。古い考えを新しくして、教わったことを入れつつ変えていくっていうのが、すごく大事なこと。

歌舞伎もずっとそうだったと思う。全く同じだったら、もう潰れて、無くなってると思う。

今ずっと残っているのは、やっぱり・・・花を見るとか、そういったものは全く変わらない、不思議と。目線とか、そこの場所を見ると花があるとか、飛ぶ鳥を追う首とか、そういうものは変わっていないから、古いものを表現できている。

だから「雪月花」。それはこの世界じゃ一番大切な文句なんだけど、そこはすごく大事。

それは全く変わらないと思う。目線なんだけどね、目線と、心をきちっと一緒につけるということ。あとはもう本当に基本で、足と腰の捻りと、手をきちんと上手に出していくっていう、手というのは本当に難しい、一つの芸術だと思う。手の出し方と、腰を捻るっていっても捻りすぎると下品になっちゃうし、だからどんなものでも、三枚目だろうが飲んだくれだろうが、そこに一種の品が伴わないと。

だからきちっとした基本、気品も身につけていく。

あと、自分たちの生まれた時に持って生まれたものっていうのが、古典とかそういうものをやりたい人は必ず持っている。それはすごく大事。


門下生:品はどうやって身につけるものですか?


家元:気品は一概に言葉では表せない、そこが一番難しくて大事なところ。


門下生:「良い踊り」ってなんですか?


家元:同じ「見る」のでも、「いい感じで見る」それは自分たちで研究していくの。

背中とお腹で踊る。背中をきちっと見せる、五臓六腑をぐっと締めたり、腹式呼吸に変えていく。そういうことができるようになるには時間がかかる。手順だけで踊りを追ってはいけない。一つ一つ、指の先から足の先まで、お腹の中まで全て自分で計算できるようになって欲しいと思う。それが良い踊りにつながると思う。

最初は、「武士道」といって、立居振舞、歩き方、背中のきちっとした姿勢、座った時の様子、それがまず一番大事なことで、それができて初めて、音をかけて踊るということにするのが理想。足を出す時も、一歩目から注意をして、それは何十回もやって身につけていくこと。

昔は毎日お稽古があるような時があった。今はほんとに無いから、自分でうんと身体を動かさないとなかなかできないことではあるけど、自分でうんと動いてるうちに、少し慣れてくると、表現力が伴ってくる。だけど、全然身体を動かさないで手順だけでやっちゃうと、一番良い表現というのが・・・表現というのは一番最後に使うものなんだけどね、できなくなってしまう。難しいね。でも、古典のものってどんなものでもそうだけど、難しいからいいんじゃないの。簡単だったら嫌になってしまうかもしれない。難しいから歯を食いしばってやるというのはあるのかもね。あと、唄の文句を「素敵だな」と思わなかったらできないこと。



門下生:外国の若い人たちが武士道をかっこいいと思うのはよく見るけど、日本の人はどうなんでしょう?


家元:不思議なのよ、日本人は海外のものに興味がある。

これから先はわからないけど、お寺をどう見るかとか、それと同じようなことで、古風なものをどう受け止めるかというのは、都度、気持ちと同じで移り変わってくるから、年とってから「ああやっておけば良かった」じゃ遅いんだけど。でもやっぱり宮大工さんが何千年もかけて、色を同じようにしようとか、元のように修復しようとか、でも素材がまた変わってきたりして試行錯誤する。それは踊りも全部一緒で、伝統文化も変わってくるけれども、昔に近いものを出していくことが大事。

で、ジュネーブ大学で教えてるときも感じたけど、海外の人たちって日本の文化が好きな人が多い。外国の子達は本当に、刺青の果てまで興味があって、興味のある子たちは日本文化が好きなんだなって。文化への興味は時代によって変わるけれど、何もしないで表面ばっかりが変わるんじゃなくて、何か出来る、文化を身につけるっていうのは幸せなのかもしれない。



門下生:先生が一番思い出に残っている舞台は?


家元:「隅田川」かな、宗家とやった。猿若清方先生とも二回やらせて頂いて、あれ以上の方はいないから。清方先生が亡くなる時に「左團次さんとやると良いよ」って言われて。

16歳の時に、師匠の西川流家元、西川鯉三郎先生の隅田川を見て、どうしてもやりたくて、「私もそのうち隅田川がやりたい」って言ったら、鯉三郎先生が「これは子供を作らないとできない踊りだよ」と言われた。隅田川を踊りたくて子供を作ったのよ私、ほんとに。

本当に難しい踊りで、それを宗家と2回、清方先生と2回やらせて頂いたっていうのは有り難いこと。ずいぶん年取ってからやったけれども・・・なかなか船長で素敵な方が見つからなくて、でももう猿若清方先生とやれるなんて夢にも思っていなかったのが、「やろうよ」っていってくださって、踊らせていただいて、で亡くなる頃に左團次とやりなさいって言われて、だから誠心誠意それはやった。気の入れ方が違った。やっぱり清元の、最初から唄もいいし、人買いに子供が拐われて死んでしまうという、気持ちが入らなかったら出来ないから、後にも先にも一番気を入れてやった。

でも、「想い」というか、愛したらたった一人の人に「愛してる愛してる」じゃなくて、猫を見ても、何を見ても「なんて愛おしいんだろう」とか、そういう想いがいくつもある方が自分の感情がいろいろ出せる。「この人のためだけ」っていうのはちょっと寂しいかも。私は結論としてそう思う。だから、あまり愛とか恋の虜にならないように、色々なものを、男をいっぱい見るんじゃなくて、儚さとか色んなものを見聞きするというのがすごく大事。動物は特にね、どんなものでも、愛情いっぱいもってるから。



門下生の声

門下生に、日本舞踊を始めたキッカケを聞いてみました。

花月:お着物を着て踊っている映画を見て、単純に「やってみたいな~」と思った。

明日香:NHKで「働いている女性の間で和物の習い事が流行っています」という番組があったんですけど、その中で日本舞踊が取り上げられていて「自分もできるのかな~」と思って。

瞳紅:「踊りをなにかしよう」と思って探していたときに、もともと海外に住んでいるのが長くて日本のことを知らないなと思って、日本舞踊を選びました。あとは、神輿を担ぐときのお囃子の音も好きだし、日本らしいものをやってみようかなと思って。

夢二:とても素敵で、憧れていた女性が長年日本舞踊をされていたという話を聞いて、会うたびに、その人に近づくためにはどうしたらいいかと考えて、「私も日本舞踊をはじめたら素敵な女性にいつかなれるんじゃないかなあ」っていうところから、何も知らない中でこちらにうかがいました。