日本舞踊 萩井流について
日本舞踊 萩井流は、昭和61年、宗家 萩井延應(四代目市川左團次)、家元 萩井栄秀により創流されました。古典舞踊(日本舞踊)の基本、歌舞伎芸の意気を下敷きにした技芸を広めようと、東京を中心に札幌・仙台で活動しています。
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令和5年4月15日、萩井延應が、帰らぬ人となりました。
宗家は旅立ちましたが、ここからまた、私たち自身、新たに歩み直そうと思っています。
故 萩井延應
四代目 市川左團次
昭和15年、四代目市川男女蔵(のちの三代目市川左團次)の長男として生まれる。
6歳で市川男寅の名で初舞台、「菅原伝授手習鑑」(寺子屋)の菅 秀才をつとめる。
22歳で五代目市川男女蔵を襲名し、昭和54年、39歳で四代目市川左團次を襲名、「京人形」の左甚五郎、「毛抜」の 粂寺弾正をつとめる。
独特のキャラクターで歌舞伎の舞台、テレビ等で活躍する傍ら萩井流宗家・萩井延應として萩井流の柱となり、門下生の育成に力を注いだ。
萩井栄秀
北海道旭川市出身。
2歳で日本舞踊を泉徳生師に師事。
13歳の時、二代目西川鯉三郎師に内弟子として入門、24歳まで12年間師事を続ける。
その間17歳の時、東京新聞舞踊コンクールに大和楽「あやめ」で当時最年少で第一位文部大臣賞を受賞。
現在、萩井流家元として、諸新聞社主催の舞踊公演などに出演、門下生の育成にも力を注いでいる。